Donald's Duck in Tokyo
Donald's Duck in Tokyo
東京烤鴨と私の縁が、佐藤氏から日中作曲家コレクティブの名称のアイデアを求められ友人4人で大喜利大会の様相でくだらないアイデアを出しあったとき始まったと考えるならば、それは草創期からのものだと言えるだろう。現に私はすでに一度、東京烤鴨のために新作を書き下ろしている。
しかしグループのレーゾン・デートゥルー(存在意義)が問われるという意味においては、本作品が初演される第三回演奏会こそがその幕開けと呼べるのではないだろうか。少なくとも私は、中国のプロパガンダ・ソングをテーマにと佐藤氏から提案されたさいにそう思った。
しかし残念なことにここ半年の私の興味は、彼が望んでいると思われる、具体的な政治や経済への言及というようなアイデアからはかけ離れたものであった。私の現在の師が、自身の「高市早苗と韓国大統領とのドラムセッションの映像を利用する」アイデアをはじめとした現行の政治への言及の提案に対して、音楽の着想として相応しくないと根拠を示してはっきり述べ(根拠の部分の言及は避けるが)、私もそれに対して腹の底から納得してしまったからだ。しかしながらその後、師から「音楽は何かを具体的に言及しようとしなくとも十分に政治的になりうる」と言葉を受け、捻くれ者の私は新作をもはや徹底的に政治的ではない音楽にしたいとさえ思うようになっていた。
そこで、私は本作において緊張関係にある三つの国(米国、中国、日本)からそれぞれ象徴的な単語を連想し、それらの組み合わせによってタイトルを決めつつも、言葉から自由に音楽を構想してみることにした。そこに政治的な意図は全くない。……しかし人は、何をもってそう断定できるのだろう?
言うまでもないことだが、ドナルドとは米国でよくつけられる男性のファースト・ネームから、ダックは日本の中華料理店でよく目にする北京ダックから取った。東京とは、日本の首都の名称である。