月に憑かれた二人、セレナーデ
月に憑かれた二人、セレナーデ
ある満月の前夜、家に帰ると玄関に猫がいた。猫は私を見るやいなや「一度だけ過去に戻れるなら何がしたい?」と訊ねてきた。「19世紀のドイツに行ってブラームスと話がしたい」と私が即答すると、猫は「そうか、そうさね」と言い残し、その場を去っていった。
私がブラームスに聞きたかったことは、彼自身が記したアーティキュレーションやテンポにまつわる理解から日本の琴を聞いた印象などさまざまであった。だが、実のところ、私のもっぱらの関心事はブラームスとシューマン夫妻との関係性にあった。若き日のヨハネス・ブラームスは、ときの権威であるロベルト・シューマンに才能を認められたことによって、果たしてドイツの音楽界に進出することができた。しかし一方でブラームスはその後、クララと結ばれるための闘争のすえ人間としてほとんどスポイルされてしまったロベルトをよそに、クララにある種の感情を持っていたともいわれている。ブラームスが二人に抱いていた感情とは、どのようなものだったのか。当然ながら私と猫との会話は絵空事で、我々は彼の感情の実際を知ることはできない。しかし想像することはできる……特別な関係をもった三人のなかの多義的な二人に思いを馳せ曲を書こうと思ったことが、この少々詩的なタイトルに反映されている。
作品はヴィオラ独奏による神秘的な旋律にはじまる。音楽は擬似的な旋法をもち、さまざまな音域、音階にて展開されるが、しばらくして高音域に吸い込まれるように集束すると、夜の小さな音楽、セレナーデに由来した同音連打の素材からなる中間部へと移る。素材はセレナーデにおけるそれと同様、基本的に軽妙に扱われるが、ときに繊細に形を変え、ときには軽薄とさえ言わんばかりにリズミカルに現れる。
同音連打の素材が発展し、一連の盛り上がりを見せたさきに、ロベルト・シューマンの《リーダークライス 作品39》の第5曲〈月夜 Mondnacht〉からの引用が顔を出す。同作品集は、ロベルトがクララの父、クララ・ヴィークとの裁判の末、クララとの婚約を勝ち取った1840年に出版されたものであり、出来すぎた偶然だが当時ロベルトは2025年の私と同じく30歳であった。私にはこの本質的に美しい作品から、ある種の人間ならざる体験をした者にしか表現しえない魔性が感じられてならない。しかしそう感じるのは、私がただ約200年前の物語を無邪気に消費しているだけなのかもしれない。
P.S. 2024年末、私は9月に玄関口に現れ、ごく短かい会話を交わした猫が近所を歩くところを偶然すれ違った。私が近寄ろうとすると、猫は私との会話なぞ覚えていないという風にすぐさま路地の傍に姿を消した。消えざまに猫は「私は知っている」と言い残したようにも見えた。猫はおそらく、私がそのとき嘘をついていることに気づいていたのだ。